こんなに弱くてゴメンナサイ…小諸城(長野県小諸市)の謎
“歴史芸人”長谷川ヨシテルが太鼓判を押す!?「最弱の城」
仙石秀久が現在残るようなお城へと改築したのは、1590年以降と言われています。この時代に使われる武器と言えば、刀、槍、弓矢、鉄砲、そして「大砲」も忘れてはいけません。
【銃砲が使用された主な合戦】
・1575年「長篠の戦い」⇒織田信長が大量に鉄砲を使用し武田勝頼を撃破
・1578年「第二次木津川の戦い」⇒織田信長が鉄砲と共に「大砲」を使い毛利水軍を撃破
・1586年「臼杵城の戦い」⇒大友宗麟が「大砲(国崩し)」を使用し島津軍を撃退
・1614年「大坂冬の陣」⇒徳川軍が大坂城に「大砲」を撃ちこみ和睦へ持ち込ませる
(ここでは「大鉄砲」「大筒」と呼ばれる銃砲も含むことにします)
このように、「大砲」が主要な合戦で大活躍しています。そのような飛び道具が充実している時代に「穴城」は実にヤバいわけです。なぜなら、仮に城下町まで攻め込まれた場合、高い場所から敵にジャンジャン砲撃されてしまうからです。
しかし「大砲の射程距離」は、いかほどなのでしょう。いくら高い所から砲撃したところで、砲弾が城まで届かなければ意味がありません。自然の要害を味方につけた、信州きっての近世城郭の名城・小諸城ですから、抜かりはないはずです。
桐野作人さんの「火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力―戦国最強の兵器図鑑」によると、砲弾の重さで違いはあるものの、大体『2~2.5キロメートル』が射程距離のようです。そして、小諸城の「城下町」から「本丸」への距離を換算すると、大体『430m』! 大砲の射程圏内どころか、砲弾がそのままお城を飛び越えちゃうくらいの距離感でした。
「大砲」に対する防御力が激甘で、「城下町」からガンガン狙い撃ちされちゃう小諸城、これもまた『最弱の城』の1つなのです。
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